思考・感情について
私たちは、引き寄せの法則や潜在意識の力を利用するために、思考や感情をコントロールしようと努力します。
どの引き寄せ本にも、ネガティブな思考や感情を少なくしましょう、いつでも望むイメージを保ち続けましょう、高いレベルの波動を維持しましょう・・・・などと、強制的にでも自分をコントロールし、物事を引き寄せることを薦めています。
そういう方法が完全に間違っているとは思いませんが、もっと気楽にシンプルに考えてもいいのではないでしょうか。私(個人)自身、そういう引き寄せ努力をやってきた身だからわかるのですが、自分に何かを強制するような姿勢は苦しいはずなんです。常に自分の思考や感情をコントロールする努力をし、できない場合自分を責め、目的達成のためにさらに正しく自己コントロールするための情報を求め続ける・・・・
一旦、こういう努力や自己コントロールを中止してみてください。
私たちは、引き寄せの法則、原因と結果の法則、波動の法則を利用しているつもりになっていますが、逆に利用されているのかもしれません。”法則”に縛られ、自分で自分を制限しているのかもしれません。
でも、それは仕方が無いのです。普通、私たちは自分自身のことを、広大な宇宙に中に生まれた一人の人間であると考えています。世界の中でうまくやっていくには、私(個人)の努力が必要ですし、多くの知識を得て、それを使いこなすことで、他人との競争に勝ち、より優れた人間になろうと必死になっています。
でもこのような常識が間違っていたとしたら??
本当は、ちっぽけな人間ではなく、神と言ってもいいくらいの存在だとしたら??
間違いを受け入れれば、常識だと信じていたことも、常識ではなくなります。世の中の法則は、真実からズレているということに気づきます。
私たちの本質は、空間や時間に縛られない”意識”であって、「個人」ではないのです。現実を生み出しているのは、「個人」の思考や感情ではなく、”意識”の在り方なのです。
「個人」の思考・感情とは??
起こっている現実というのは、”意識”を源泉として現れている幻想です。その幻想も”意識”の中で起こっています。”意識”という源泉から、”意識”というスクリーン上で、「個人」が主役のストーリーが淡々と展開されています。
では「個人」の思考や感情は何なのかというと、映画の中の主人公のセリフや吹き出しのようなものです。主人公が過去を振り返ろうと、未来を夢見ようと、”今ここ”にある”意識”というスクリーン上で起こっているストーリーのひとつに過ぎません。
映画の中にいる主人公として生きている私たち「個人」は、自分の”行動”により現実を変えようとしてきました。途中でスピリチュアルな知識を得て、「個人」の思考や感情が現実を変えると知り、自分の内面をコントロールし始めました。でも、やっぱり映画の中にいるのです。「個人」が何をやっても、何を考えても、どれも映画のストーリーのひとつに過ぎません。
映画のストーリーは、映画の中にいては変えられません。主人公としての私たちはストーリー展開に一喜一憂するばかりで、人生を楽しめません。他人の言動や、起こってくる出来事にその都度対処するしかないのです。
ですから、一旦、すべての源泉、且つ、すべて(私・他人・物・空間)を映し出しているスクリーンこそが、自分自身であることを受け入れるのです。もともとそうなのですから、ただ思い出すだけでいいのです。
本当の自分=意識=(映写機・スクリーン・観客)
「個人」に湧いてくる思考・感情は、主人公の吹き出しの中のセリフであると思えばいいのです。主人公のセリフに力はありません。ただのセリフです。無理やりコントロールする必要はないのです。
それが分かれば、「個人」の思考・感情のコントロールから解放されます。湧いてくるものはそのまま流してしまえばいいのです。思考・感情=自分自身ではなく、自分(意識)の中のほんの一部分でしかないのですから。
●思考や感情に左右されずに淡々と意図する
●5次元の”意識”という在り方
思考・感情について でした
●人間ゲーム設定変更メソッド
●Twitter (eric358game)
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