今ここにすべてある
私たちの本質である”意識”の力は、世の中にある法則よりも力がありますし、「個人」の思考・感情に左右されるものでもありません。
”意識”=すべて です。
”意識”=世の中の法則
”意識”=「個人」の思考・感情
”意識”=他人
”意識”=世界情勢
”意識”=物体
すべてを包括したものが、私たちの本質である”意識”です。
目に見えるものも、見えないものも、すべてが”意識”の中で起こっていることです。
”意識”はすべての創造者であり、被創造物であり、観察者・体験者でもあります。
世界で何が起ころうと、「個人」がどんな体験をしようと、ただ、”意識”というスクリーン上で展開しているストーリーなのです。”意識”の外側も、”意識”以外のものもありません。
私たちは「個人」として、物や体験を引き寄せようとしたり、真実を知ろうとしたり、悟りを開こうとしていますが、それさえすべて”意識”の中で起こっているストーリーに過ぎません。
”意識”はそのままで完全であり、すべてを所有している存在なのですが、「個人」として”生きる”選択をすれば、不完全・不足を体験し、そこから行動・努力をして何かを得るというストーリーを体験することになります。
「何かをして、時間の経過があり、何かを得る」という状態は、”意識”としての本質ではありません。すべて最初から所有しているのが”意識”です。「する」ことはストーリーの始まりであり、「得る」ことがストーリーの終わりであるというだけです。
「個人」はいつも「する」ことばかり考えています。本来、何かをしなければ目的を達成できないということはありません。
”気づき”や”悟り”についても同様で、いまここ以外に気づきや悟りがあると思い込み、「する」ことを自分に課し、いつか気づこう、いつか悟ろうとするのです。
”今ここ”しかないのです。そして、その”今ここ”の在り方を決められるのが、”意識”です。気づきや悟りは、どこか遠くにあるのではなく、一番近いところにあります。”灯台下暗し”です。”意識”は気づきそのものであり、悟りそのものです。
私たちの本質(真我)=”意識”は何もすべきこともなく、何かを得る必要もない絶対安全・平安の場所にいます。
その状態から「個人」で何を経験するのかは、趣味の問題です。つまり、本来”したいこと”しかないんです。これまでは、真実を忘れ、「個人」と同一化してしまい本来の力を忘れた”意識”が、自ら不足や問題を創り出し、それを解決するというストーリーを知らぬ間に体験していただけなんです。
自分の本質を”今ここ”で認めるしかありません。”今ここ”にすべてが在ります。
「個人」として知識を増やそうとしたり、目的のために「する」前に、ただ真実を認めてください。それだけでいいんです。後は趣味の問題です。すべてが自分が創り出した幻想であると知った上で、楽しめばいいのです。
今ここにすべてある でした
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