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究極の自己本位で生きる

2018年7月18日

自分の人生を他人本位で生きるなんて馬鹿らしくありませんか?

自分の思考、行動を他人の意見に合わせたり、他人からの強制をなんの否定もせず受け入れたり、他人が作った”常識”に自分を合わせようと努力したり・・・・

過去の偉人の格言でも、自己啓発やスピリチュアルのベストセラーの内容でも、有名ブロガーの発言でも、あなたが信じる必要は全くないですし、思考法やメソッドを真似する必要もありません。

特に小手先のテクニック(思考法、メソッド)、状況に応じた対処法など。  「思考法、メソッド」が生まれた時代の環境、世界情勢、価値観は絶対に違いますし、そもそも人間(アバター)が違います。他人のモノマネをしていれば、あなたはモノマネがうまくなるだけです。(それが好きならやればいい)

誰もがそのままで価値がありますし、自分以外の何者かになろうとする必要はありません。

自分は今のままで十分素敵だし、価値があることを最初に認めてしまえばいいじゃないですか。その後どんな考え方をするか、何をするかは趣味の問題です。

自己本位に生きられないのは、「今のままではダメ」「私の選択は間違っている」というあなたという人間(アバター)の”大前提”を勝手に決めつけているからです。

自分の好みの選択を、なぜ”常識”や”他人の価値観”に照らし合わせる必要があるのでしょうか?「好きだから」「やりたいから」という理由があれば十分ではないですか?

ただ、
「自己本位に生きれば、絶対に他人に迷惑をかけることになるだろ!」
こう思われる人も多いかもしれません・・・・・・・

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ここまでは、
「世界(ひとつ)には何十億もの人間が存在し、その中の一人である私(個人)がここに生きている」「私は○○○○(名前)である」といった常識的な世界観?で話してきました。

この世界観で「自己本位」を提案したとしても、単なる小手先のメソッドになってしまいます。「自由に生きよう!」とか「自分らしい人生を生きよう!」といったスローガンは昔からありますし、綺麗事として片付けられてしまいかねません。

私はこのブログで単純な思いつきや、役に立たない情報を公開していくつもりはありません。私が伝えたい、唯一の情報は、

「私たちの本質は”ひとつの意識”であり、人間(名前を持った私)はアバターであり、アバターを通して世界を体験している」
という真実です。

”自分の本質”への気づきは、人生を大きく変えます。「自分はなぜ存在しているのか」ということが曖昧なまま人生を進めると、どうしても[自分自身、他人、世界]を受け入れられず、自分を嫌いになったり、他人を恐れ、敵を作ることになり、世界は怖いところであるという考え方に陥ってしまいます。

自分を[三次元空間+時間]の中にいる”人間”であると認識していると、[自分・他人・世界]への不信や、人生の混乱は免れないのです。

もちろんネガティブな感情や出来事は、”ひとつの意識”にとっては大切な「体験」です。アバターを通して「体験」することが第一目的なので、その内容云々は問題ではありません。

ですから、「他人本位」の人生であっても、”ひとつの意識”にとっては別に悪いことではありません。つまり「自分本位」でも「他人本位」でもどちらでもいいのです。

ただし、[私は人間である]という意識でいると、どちらが良いとか悪いとかいう判断になり、「自分本位はダメだ」という人も現れるし、「他人本位はダメだ」と言う人も現れます。

究極的にはどちらでもいいのですが、[私は人間である]という意識では、善悪・正誤・損得ですべてを決めてしまうので、”生き方”についての他人の意見を”批判”したり、対立が起こります。

アバターとしての「自己本位」は「偽自己本位」だと言えるでしょう。「偽自己本位」のまま生きると、結局は他人の反応が気になりますし、批判を恐れることになるでしょう。そうなると、なぜか「嫌われる勇気」などが必要になってしまうのです。

”ひとつの意識”にとって、アバターが「自己本位」(実際は偽自己本位)で生きるか「他人本位」で生きるかなど興味はありません。ですから、この二択さえもナンセンスなのです。

これは重要な動画なので、このブログで何度も登場すると思いますが、[私(アバター)、他人、世界]はスクリーン上で展開されている映画の一部であり、同質の存在であることを教えてくれています。

そして、スクリーンを観察している側が、私たちの本質である”ひとつの意識”です。

この真実を知っていただいた上で、私は再び提案します。

「自己本位」で生きてください。

ここでの「自己本位」の「自己」とは、私たちの本質である”ひとつの意識”です。スクリーン上にいるアバターとしての自分ではありません。

でも、これは”結果”です。
「自己本位」で生きようとするから「自己本位」で生きられるようになるのではなく、[自分の本質]への気づきを得た結果、「自己本位」で生きることしかできなくなるのです。

他人さえ、自分の一部なのですから、「他人本位」の人生も、結局は「自己本位」です。自己本位という性質を持った”ひとつの意識”は、どんな人生(ゲーム)にするかを選ぶ立場にありますから、アバターが他人に影響されずに生きる人生(自己本位人生ゲーム)でも、他人に影響される人生(他人本位人生ゲーム)でも、自分の好みの方を選べばいいんです。

恐らく、「他人本位」人生ゲームを選ぶ人はいないでしょうが・・・・・

「本当の自己本位」の意味が分かれば、あとは人生が遊びになります。選択の幅が大幅に広がるからです。アバターとして自由になるために努力をするのではなく、今のままで自由であることに気づくでしょう。

[結果として]他人の言動にいちいち反応しなくなり、迷惑をかけた・かけられたという人間ドラマを、単なるゲーム上のストーリーだと捉えられるようになります。

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究極の自己本位で生きる でした

●人間ゲーム設定変更メソッド
●Twitter (eric358game)


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