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気楽さ・深刻さ

気楽さ・深刻さ・・・・・

長い年月をかけて形成された自我は、”意識”としての本当の自分から主導権を奪い取り、過去の体験も記憶も自分(自我)のものとして大事に保管しています。現実へのリアクションも、思考も行動も未来想定も、引き寄せも、自我の保管庫にある情報を元に行います。

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目標を達成しようとする場合も、一つ一つ条件をクリアしなければ辿りつかないと信じているので、効率のいい方法を探しながら、努力を続けます。

自我はいつでも不安です。 ”今は満たされていない”という大前提のもと、未来を無理にでも信用して、保管庫にある情報から「やるべきこと」を見つけ、「やるべきこと」を毎日やっています。

自我にとって「人生の問題」は深刻です。食べていかなくてはいけない、白い目で見られてはいけない、嫌われてはいけない・・・健康でなくてはいけない、異性にモテなくてはいけない、資産を形成しなくてはいけない、老後に備えなくてはいけない・・・・

もちろん、全部受け入れて、「人生はこういうもんだ」と考えている人も多いと思いますし、それで問題なければそのままでもいいとは思いますが、「何かがおかしい・・・」と考えている人も多いのではないでしょうか。

気楽で楽しいルートもある

一人の人間(身体・資質・記憶の集合体)=自我 として人生という物語を進めるのも間違いではありませんが、その自我や世界全体を俯瞰している”意識”として人生を楽しむルートもあります。”意識”は、自我の記憶や体験、前世、カルマ、現状、親、他人、世界情勢、常識に影響を受けることのない存在であり、完全性を備えています。

この動画のように、スクリーン上で展開する「人生」のストーリー観ている存在が、”意識”として自分です。誰もが、”自我”ではなく、最初から”意識”という存在です。”神”と言ってもいいのです。

スクリーン上の出来事、ストーリーに影響されないのですから、”意識”にといって「人生という映画」は深刻に捉えるべきものではありません。”気楽”に”楽しめる”ものです。ホラー映画を見ているとしても、それは恐怖の疑似体験であり、自身の体験ではありません。

ただ、映画に熱中しすぎると、自分が映画の主人公のような錯覚をし、自力でなんとかしなければいけない状態に陥り、すべてを深刻に捉えてしまうのです。

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意識(神)として、絶対安全の状態から、「人生という映画」を気楽に、楽しむこともできます。どんな内容の映画を観るかも、自分で決められます。サスペンスでもコメディでもスポ根でも恋愛ものでも、好きに選べるのです。

「気楽に楽しむ」という選択をしてもいいのではないでしょうか。

気楽さ・深刻さ でした。