エゴは役 本当の私は役者兼監督視点で観る映画
エゴの思考・感情の扱い方で戸惑うこともあるかもしれません。エゴは現実を否定し、抵抗し、自分にとって”良い”物や”良い”体験だけを得ようとするものですから仕方ありません。エゴ視点で引き寄せの法則などを意識して願望実現しようとするとうまくいかないものです。
本当の私は映画そのもの。その視点は総監督兼役者(主役)
映画に例えるならば、本当の私の視点は映画の総合監督であり、役者(主役)でもあります。役そのものではなく役者です。監督・役者としての能力は一流。神のレベルです。ミスもしませんし、撮り直しもないですから遅れもありません。
役の設定を決めれば、同時にそれにふさわしい舞台も一瞬で創造します(無限の選択肢から自動選択)。脚本も自動的に選択され、役の設定に沿ったストーリーを展開させていきます。
本当の私は、部分ではなく全体です。脇役もエキストラも撮影地も全部が”ワタシ”。時間経過もすべて”ワタシ”の中で起こっていることです。それを役者(主役)視点で”観て”います。
エゴは役
エゴ(個人としての私)は映画の役どころです。役ですから自由に変更が可能です。ずっと同じ役でなければならないという決まりはありません。”役”ですから本当に存在しているわけではありません。つまり幻想です。実体はないけれども、いろんな設定の組み合わせで、実存しているかのように見えているだけです。
役に没頭
総監督・役者視点のワタシを忘れ、役に入れ込みすぎると、”自分”という主体と、他人・世界という客体を分離します。そうなれば他人との優劣も感じますし、物事を良い悪いで判断し、すべてを受け入れることができません。起こることを自分のものとして観ることができなくなるのです。そうなれば自然と”問題”が発生し、”苦悩”し、解決への努力⇒解決・・・というプロセスも生じます。
映画スタジオ
本来、私たちは”映画スタジオ”という安全な場所にいます。映画スタジオそのものと言った方がいいでしょうか。本当の私は総監督の視点を持っているのですから、作りたい映画を自由に作ればいいですし、主役の視点で好きな役を演じればいいのです。解っている上で敵(役)を作り、戦うという選択もできますが、本当の敵などいません。すべてが自分だからです。エゴ視点だけでは、起こってくる現象(脚本)にリアクションするしかなく、やりたいことをやるにもわざわざ遠回りするような”在り方”を選び、自分に思考や行動を強制するのです。
”試練”は手放してもいい
映画をスタートする前(肉体が生まれる前)に、ある程度テーマを決めています。それがエゴにとって嫌なものであっても、本当の私はそれを体験したかったのです。もちろん最初はそんなことを忘れて役になりきっていますから、嫌なこととしか思えません。嫌な体験を否定し、自分のものとして認めなければ、同じような体験をすることになります。ただ、そこで、自分で決めてきたことであることを受け入れ、どんなテーマだったのかに気づけば、同じテーマに沿った体験をすることはありません。
起きたことすべてを自分のものとして受け入れることで、別の選択をすることが可能になります。
”ここ”というセット
エゴ(役)にとって今この瞬間見えている現実は、一つのセットです。セットが毎瞬変化している(無限にあるセットから自動選択される)ので、エゴにとっては世界を移動しているように見えても本来はいつでも”ここ”というセットにいます。”ここ”はひとつです。唯一のもの。時間に関しても、唯一の”今”の連続です。”今”に”ここ”というセットが変化しています。ですから意識すべきなのは唯一の”今ここ”での在り方のみです。ストーリの過去や未来について考え込む必要はありません。そういうことは完璧な脚本にまかせておけばいいのです。
自分の映画スタジオの中で起きていることですから、本質的には何も問題はありません。すべてが自分の役のために起きていることです。エゴ視点では悪いと思うような出来事であってもです。
決めることは自分がどんな役を演じたいかということだけであり、それさえ決めれば、世界(自分)も決めたことに沿ったものになります。役だけが変わるのではなく、世界も同時にすべて変わるということです。
大丈夫!
すべてがワタシなのですから何が起きても大丈夫なんです。本来守る者も守られる者もいませんが、エゴ視点から見ればいつでも守られていると言えます。本来安心しかないのですが、エゴし視点から見れば、いつでも安心していていいと言えます。エゴ(役)視点で見ているものだけを頼りに必死に変わろうとするのではなく、本当の私視点という俯瞰視点で、好みの在り方を決めればいいのです。
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エゴは役 本当の私は役者兼監督視点で観る映画 でした
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