あなたは観照者
本当のあなたは、「鈴木太郎とか山田花子といった名前を持つ人間」ではないということをこのブログで何度もお伝えしています。
本当のあなたは、名前・身体を持つ人間というアバターを通して、世界を体験している存在です。このブログでは”ひとつの意識”という言葉で表しています。
他の言い方をすれば、本当のあなたは、”スクリーン”であって、今まで自分であると思っていた存在は、スクリーンに映し出されている映像のひとつであり、他者や物体、世界全体と同質のものです。
本当のあなたは、”ひとつの意識”であり、”スクリーン”の役割を果たしているということは、自ら[アバター(仮の自分)、他者、世界全体]をスクリーンに照らし出し、且つ、そのスクリーンを鑑賞している存在なのです。
自作自演している観照者
簡単に言えば、自作自演をしている観照者だということです。
”ひとつの意識”がそのままでは体験できなかったことを、立体的なスクリーン上でアバターや他者や物体を創造し、体験しているのです。なぜなら、それが面白いから。本来、とても魅力的で、楽しい映画やゲームだと言えます。
ただ、アバターに自我(エゴ)という機能を付加した結果、その自我(エゴ)が世界の中で[生き抜かなければならない、競い合わなければならない、稼がなければならない]と信じ込むようになり、映画が複雑なものになります。自我(エゴ)というのは張りぼての不安定な存在(幻想)なのですが、自分自身を実体があるものだと信じ込んでいるので、現実という映画がややこしくなるのは当然です。その自我(エゴ)が暴走することにより、戦争、犯罪、殺人、自殺・・・・などアバターにとってはネガティブな現実を体験することになります。
”ひとつの意識”は[観察]・[体験]することが目的なので、たとえアバターにとってネガティブな映画であっても、”ひとつの意識”は満足なのです。むしろ、「これこそ体験したかったんだ!」と思っているでしょう。
だからと言って、アバターとしての私たちが現実に翻弄され続ける必要もありません。アバターとしての私たちは、単に、本当の自分は”意識”であって、身体は借り物(アバター)であること、アバターには自我(エゴ)を持つ機能が備わっていることに気づけばいいんです。
これに”気づく”だけでも大きな違いを生みます。
自分自身を自我(エゴ)を備えた人間だと思ったまま生きると、自分と他者・世界を分離させ、他者や世界が脅威になることもあるでしょう。
自分自信を”意識”(スクリーン)であるということに気づけば、自分=他者・世界であることにも気づき、スクリーン上で起こる出来事の原因は自分にあることが分かるのです。
”自我を持った人間”視点では、現実への対処法、他者への対処法(心理学、占い、相性・・・)、自己コントロール(時間管理、スケジュール管理・・・・)、スピリチュアル努力(潜在意識の変更、引き寄せの法則、占い、インナーチャイルドの癒し、観念の変更・・・・)などがいろいろと必要になってきます。もちろんこれも”ひとつの意識”としては様々な体験要素として重要なのですが、アバターとしては”めんどくさい人生”を歩むことになるでしょう。
[”ひとつの意識”として人生を体験する]という選択肢もあるのですから、そちらを選んでもいいのではないでしょうか。何を選択したとしても、本当のあなたは”ひとつの意識”であり、アバターや現実を映し出す”スクリーン”であることは真実であり、不変です。
アバターとして、幻想である世界にのめり込むゲームをするか、自分の本質である”ひとつの意識”として、幻想であると知った上でゲームを楽しむか・・・・・どちらか好きな方を選んでください。それくらい自由であっていいじゃないですか。これは他人(アバター)に強制するものではありませんし、強制されるものでもありません。
もし、”ひとつの意識”として現実という映画(ゲーム)を楽しむ意思があれば、この瞬間から出来ます。あなたは自作自演をしている”観照者”なのですから、本当の自由を取り戻し、現実という舞台で遊ぶことが出来るようになるでしょう。
あなたは観照者 でした
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