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期待感 「今ここ」「ただ在る」

期待感 「今ここ」「ただ在る」

「いつ叶うのか」
「叶うまで待とう」
「叶うと嬉しい」



「”期待する”のは良いことだ」という常識はあるかもしれませんが、それは”時間”の中にいるエゴ(役者・キャラクター)の一喜一憂ストーリーを繰り返す要因になり得ます。

”今ここ”に期待感があれば、ワタシというスクリーンには「期待している役者と叶っていない状況」が毎瞬映し出されます。プロジェクターで映し出すためのスライドが「期待感」と「不足」であり、毎瞬そのスライドを表示し続けるからです。

単純な仕組みです。

●ワタシ=スクリーン(プロジェクター・観客) 「今ここ」「ただ在る」「完璧」

何を映し出すのも自由ですが、その前提は”そのままで完璧”
存在していること自体に価値があり、それが当たり前なんです。役者の性格とか収入とかルックスとか人生そのものがダメだから、それを改善するために”別物”になろうとするのではありません。

「どうしても叶えたい」「叶えられないと不幸だ」

これらも勘違いです。”執着をなくそう”ではなくて、元々が「ただ在る」だけで完璧な存在です。ワタシ=スクリーンであり、ただ在ります。スクリーンの中の演者=私だと勘違いすると、永遠に”する”ことから逃れられません。肉体はアバターのようなもので、思考や感情は勝手に湧いてきているだけですから、コントロールする必要はありません。ただ観るだけです。

「する」ことからの解放
すべての人に価値がある 映画の役者としてのあなた
3次元世界のアバターの機能

多くの人はスクリーンの中の出来事に重要度を持たせすぎています。偽りの私(演者)の自動思考、感情、自動反応に気を取られすぎています。他人(演者)の言動に気を取られすぎています。「私」を取り巻く状況、情勢に気にしすぎています。好みでないものに首を突っ込み、”問題だ”と言っています。

一旦、高い視点から観ましょう。スクリーンであるワタシはそままで完璧です。それが当然です。
スライドは無限にあります。「期待」なんて必要ないことを知るでしょう。

●俯瞰視点

”俯瞰”とか”高い視点”というのは、幽体離脱のように実際に肉体を上空から眺めるということではありません。肉体の”目”の視点からは逃れられませんが、その目に見えるものすべてがワタシであることを思い出すということです。

 

●スクリーンとしてのワタシ
●アバターを使った体験者としてのワタシ

”部分”ではなく”全体。「ただ在る」ワタシ

 

何者かになろうとするのではなく、何かを得て幸せになろとするのではなく、「ただ在る」ものとして、ワタシ専用世界での体験を楽しむこと、遊ぶことをおすすめします。

期待感 「今ここ」「ただ在る」 でした。